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暴風雨のなか、木の葉での船出!!

商法改正直前!の滑り込みで会社を設立!
時はバブル景気がはじけて、大不況の嵐が吹きすさぶ中、今より最悪にはならないだろう?
と意気揚々と会社を設立しました。

当時は、「資本金100万円で設立し、5年後までに資本金を1000万円にしなくては株式会社として残れない」そんな商法改正でした。

5年で資本金1000万円に出来ないようでは、商売をやっているとは言えない!!なんて豪語してのスタートでした。
今考えるとまったく無謀で無知だから出来たことですが(若)

会社登記を済ませて、事務所として借りたマンションに帰ってみると、机の上に汚い字でメモ書きが・・・

「しばらくの間 お借りします。 M」

その横には銀行の通帳と印鑑が置かれていました。
慌てて通帳の残高を見てみると・・・

運転資金のはずのお金が無くなっている・・・

この時初めて「膝がふるえる」体験をしました。
本当に膝がふるえて、この先どうして行けばいいのか、いきなり路頭に迷う最悪の船出でした。

資本金は私が全て親から借りて出したので、私が社長をやることになりましたが、当初は3人で会社を設立しようとしたので社長1人に権限が集中しないように、経理責任者としてM氏に通帳と印鑑を預けて、もう1人のI氏には営業責任者になってもらいスタートを切る予定でした。

今思えば、ままごと遊びの延長のような話ではありますが(笑)

しかし、このスタートで大きく躓いた事により、以後は通帳や印鑑の管理にはとてもシビアになりました。

あれから19年が経過し、途中で不動産会社を設立してみたものの、不動産会社は肌に合わなかったため売却したり・・・・

色々な事業を手がけて今のアイ・エム・エスがあります。

今は少数ですが、真面目に働いてくれる正社員さん達を中心にパートさんを約100名近く採用させてもらい事業を続けさせてもらっています。感謝

人生、予想もしないようなことや青天の霹靂といったことが度々訪れますが、必ず乗り越えられる試練しか与えられませんので、その時は絶対無理だとか考えてしまいますが、一歩一歩足元を見て逃げないで歩いていくことをおすすめします。

必ず日は昇ります! 今が最悪!とすれば、それはきっと夜明け前の闇夜に違いありませんから、逃げないで少しずつで良いから前に進んで下さい。

必ず道は開けますから♥

営業マンはボロ雑巾?

二度目の転職

今度の転職は自分で就活して決めた会社でした。
生真面目な?性格のため退職後に就活を始めました。 すでに2児の父親でしたから、じっくりと次の就職先を探しているだけの蓄えもない状態で焦りがありました。

就職を決めたのは、大阪本社の省エネ機器を販売している会社でした。 元々電機メーカに勤務していたので原理は理解できた事と、歩合制に魅力を感じての就職でした。  基本給は15万円目標のノルマを達成したら歩合が付くシステムです。  私は最低手取りで30万の給与が欲しかったので結構必死で働きました。 
 
当時は省エネシステムのはしりでしたから、今とは全然違っていて結構いい加減なシステム?だったように思います。
それでも気持ちはトップセールスマンを目指して新鮮な気持ちで働きました。

まずは、1.新人営業マンの記録を塗り替える
     2.会社のトップセールス記録を塗り替える
     3.最後にトップセールスマンを維持する

これを目標に自分の自動車(軽の箱バン)で、中国地方から四国まで営業をしてきました。

当時は本当にお金が無く、大手の会社に勤務していても給与は安く会社を辞めるのは自己都合だから東京からの引越代は自腹(当時は高かったです)、おまけに広島での借家の敷金や前家賃で貯金はほぼ無し・・・・  仕方なく当時の自家用車を売って親父が乗っていた軽の箱バンを譲ってもらい営業に使っていました。

社長が営業会議にやって来た!
毎月大阪から社長が営業会議にやって来ました。 会議の後は広島支店の全員(7~8名)と食事です。  「首から金のネックレス、手首にも金のブレスレット」・・・・あなたは何者?車はM社のS500?まるで何処かの・・・・

当然と言ってはいけませんが、毎日電話でのハッパはすごかったですよ!  

私が入社して何人も営業マンが入れ替わりました。  私は自分の給与のため一生懸命働きながら「このままでは、この会社に一生は勤められない!」そんな不安が日に日に大きくなり始めました。
当時はまだ今の時代のように簡単に退職したり就職したりはしていない時代ですから、結構不安でした。

そんなこんなで半年もしない内に課長に昇進、支店長退職後は自動的に支店長昇格????  これはまずい!!!

さすがに私も「この会社にいたらボロ雑巾として扱われる!」とやっと気が付きました。(笑) 今から考えれば、歩合給の会社なんてどこも同じですよね・・・・

「このままではまずい! しかし、中小企業の社長なんてみんな当てにはならん!」 自分でやるしかないか????
でも「三無」(金無い・名誉無い・経験が無い)私が「社長」なんて出来るの????

自信がなかった私は当時の仲間二人を誘い独立することにしました。

三人が平等に資本金を出資して新会社を作ろう!
ということになりました。
当時は平成3年の商法改正前であり、改正後は株式会社1000万円 有限会社300万円の資本金がいることになっていました。

そんな大金!持っていません。 商法改正前に何とか会社を作ろうということで、各自100万円を用意して会社を作ることに・・・
しかし、実際は他の二人は100万円が用意できずに私1人が父親から借用書を書いて用意しての船出でした。

これから夢に向かって頑張るゾー! と会社の登記を済ませて小さなワンルームマンションに借りた事務所に帰ってみると、そこに待っていたものは・・・・
とんでもないことに

次回はとんでもない船出
創業者の方々は沢山おられますが、私のような目にはなかなかあったことは無い位の衝撃的な出来事でした。

転職編

転職編

東証一部の大企業から広島の中小零細企業に転職したのは、20代後半で二児の父親でした。  バブリーな時期でしたし、自分にも自信があり将来は「広島の先輩達と一緒に会社を起業しよう!」と燃えていました。 先輩の紹介で勤めることが決まったのは広島市内の小さな製造業の会社で、営業として勤務する事になり、やる気満々の帰広でした。  しかし本音は、「こんな小さな会社で大丈夫なんか?」と不安も感じながらもとにかく頑張ろう!と思っていました。

不安が的中!

こんな人種がいるのか??? これは差別しているわけではなく、仕事に対する姿勢や、やり方に対して「天と地」ほどのギャップにビックリの連続でした。  その内の二つをお話ししますと、一つは「従業員のモチベーションの低さ」まるで緊張感が無く管理者も平社員も対等の態度と発言・・・・ 管理者の威厳もなければ責任感もない・・・・ 毎日ブツブツ不満を言いながら渋々仕事をしている・・・・ これでは、納期や品質はデタラメなのは仕方がないなと思っていたら、夕方からは別人のように深夜まで残業をして納期を間に合わしてくる。  ギリギリで完成した製品を私がトラック(2t)で呉や安浦まで納品に行く・・・・ それまでトラックなんか運転したことがなかったので2tとはいってもロングボディーでしたから怖かったですよ(笑)

もう一つビックリしたのは、「売掛金の回収について」です。
今思えばこの経験がなかったらとっくの昔に今の会社(IMS)を潰していたかもしれません。
大きな企業にいるときは、営業会議の席で売掛金の回収率が悪くても理由を説明して頭を下げたら終わっていました。電機製造業のメーカでしたから月末最終日に出荷したら商品は翌日の月初めに客先に到着するため、伝票での売上は当月に上がりますが、客先では翌月の売上になるため当然ですが・・・・
しかし、この会社の経理は違いました。「当社は先月に売り上げているのだから回収してきなさい。・・・」 無理ですよね(涙)
営業の私が諦めていると、経理(社長の奥さん)が客先の専務に土下座して回収してくる・・・・ 「土下座をしようが嘘泣きをしようが金を回収してくる」本当にビックリの連続でした。  こんなすごい事が出来たら弊社(IMS)もきっと大きくなっていたでしょう。(笑)
しかし、「給料も遅延する」etc・・・ その内に段々不安になって来ますよね。 「会社が潰れたら生活に困る・・・」とか、そんなこんなで1年間勤めた会社を辞めることに・・・・   次は「自分で納得出来る会社に就職しよう」と就職活動を始めました。
次回は「営業マンはボロ雑巾?」を書きたいと思います。

起業や転職を考えられている若い方に・・・私事ですみません。

はじめまして、社長の坂本恵亮(サカモト ケイスケ)と申します。
名前の「恵亮」は「ケイスケ」となかなか読めないようで、「ケイリョウ」とか「お坊さん」の名前ですか?とか(笑い)

私事を少しお話ししますと、私は30歳でこの会社を立ち上げました。 設立当初は「この仕事をしたいから独立したい」とか何もなく会社を設立して19年になります。

サラリーマン編
  
私はサラリーマン時代は一部上場の電機メーカで営業をしていました。 広島の地方採用で結婚後に直ぐ東京本社に転勤させられました。(実は独身時代から転勤の話は度々あったのですが、「転勤するなら会社を辞めます。」と今思えばとんでもないわがままを言っていました。) 東京は人間の住むところじゃない!なんて住んだこともないくせに・・・・  しかし、結婚して直ぐに転勤辞令が・・・・転勤が嫌だから退職するとは嫁の両親に言えなくて渋々東京に・・・・  会社も考えましたよね。 「結婚したら辞めないだろう」と考えて、転勤の事前相談無くいきなり転勤の辞令を出すなんて・・・・   これが私の人生を変えました。

どこの会社でも、地方の支店に勤めていますと、毎月の会議に支社長が出張してこられて営業会議があると思いますが、私の元の会社でも怖い支社長が大阪から来られて毎月会議で絞られていました。(涙)
そんな地方の営業マンから見たら、関西支社を飛び越えて東京本社勤務なんて雲の上の人達と一緒に仕事をするのか・・・と、びびって、とにかく真面目に必死でお客さまを覚えて、仕事をこなしていました。  当然、毎日残業「と言っても毎日2~3時間程度」ですが・・・   ある日の朝礼で、部長から「最近よく残業している人がいるが早く帰るように・・・」 私のことです・・・
それまでは、地方の営業マンが・・・とバカにされないように必死で自分の仕事をしていたものですから、周りを気にする余裕がありませんでした。 気が付いたら、みんな「定時の17時30分頃」に帰路につくのでした・・・
東京では通勤で片道2時間は当たり前なので、みんな早く帰っていたのに、私が本社に来てからは、みんな早く帰りにくくなったようです。(笑い)

そんなこんなで、3年間頑張ってダントツのトップセールスマン(技術営業なのでトップセールスマンの表現が正しいのか疑問ですが)までなりましたが、両親の相次ぐ入院で広島に帰らなくてはいけなくなり(長男の宿命・・)無理矢理1年掛けて退職して広島に帰る事にしました。
とりあえず、知り合いの先輩に広島での転職先を探してもらっての帰広でしたが・・・・大変なことに・・・・・
この続きは次回のブログで書きたいと思います。

こんな感じでとりあえず書いていこうと思いますので、よろしくお願いします。

ブログ設置しました

近日開始予定です。
ご期待ください。

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